名前は、扉です。
古代の日本人は、本当の名前は家族以外には知られなかったと言いますし、アイヌの方は、わざわざ悪霊に好かれないように、排泄物の名称など、汚いものの名前を子供につけたり、呪術的に非常に人の名前は大切にされてきました。
これにはやはり、スピリチュアル的には理由があります。
名前は大抵、親や近しい人がその子供の幸せを願って名づけられますね。
これ、ほとんどの場合、実は、子供自身が名前を運んできて、その名前を、高次との媒介者である名付けの親が、つけてるんです。
ほとんどの場合、名前をつける人は、その名前を与えれられる赤ちゃんの幸せを、無意識にでも高次の存在に祈っていますよね。赤ちゃんが、高次の世界から降りてくるにあたって決めてきた約束事が、その名前に隠されているんです。
その時に、子供の幸せではなく、親や、名付けの人のエゴがあまりに強い名づけになった場合は、せっかく子供が自分で高次の世界から運んできた名前は無視して、我の強い、意味の薄い名前になってしまったりします。
最近はそんなケースが多くて、かわいそうですね。
名前には、そう言った訳で、命がこの世に生まれてきた理由の鍵が隠されていたりします。よく名は体を表すとか、そんな事言ったりしますがその通りです。(昔の人は、成長に合わせて名前を名乗り直したりしていましたが、それにも、スピリチュアル的には理に適った事をしているのですよ。説明は長くなるので、リクエストが多くなったらまたアップしますね)
さて、もし貴方が今、人生の目的に迷子になっているなら、一度立ち止まって、あなたの名前を見直してみてください。
一つ例となるお話をいたしましょう。
昔の私のお客様で、「愛」という名前のお客様がおいででした。
ご本人は「愛」どころか、どちらかといえば学生時代は人をいじめたり、長じてパワハラをしたり、いつも人を押しのけて目立ちたがったり、お金に綺麗ではなかったり、「愛」が自分の虚栄心の方向に、とても強く向いているようなお方でした。
この方の人生のテーマは、お名前そのもの「愛」である事は、最初のセッションからとてもクリアでした。
この方は、愛を求める心が人一倍強すぎて、力づくで、ありとあらゆる方面に愛を求めておられたことが、この方の人生の問題の大部分を占める問題の根源だったのです。
それゆえの顕示欲の強さと、虚栄心の強さが、この方の人生で発生するトラブルのほとんどの理由を占めていたのです。
その後、ようやく彼女の求めるだけの愛を与えてくれる男性と出会い、彼女の人生に占める大きな問題のいくつかが、だいぶ氷解している様子です。
今後は、これまでの行いの精算を終えて、「愛」を与える側に入った時に、人生の意味や、価値にお気づきになることができると、そう信じて見守らせていただいております。