大切な存在と、肉体の死というお別れを迎えたあなたへ。

愛する者との死の別れは、辛いものです。

それがペットであっても、家族であっても、友人であっても、この辛さを乗り越える辛さは、人生の苦しみの中でも大きな部類に属することは、皆様同じ意見ではないでしょうか。仏教の言う、四苦八苦の八苦、愛別離苦の苦しみは、これにあたります。

肉体を持つものは、いつかは肉体の死を迎えます。

これは、この世の理であり、この世に生きている限り、私たちはこの世の理に沿って、生きてゆかなくてはなりません。

肉体は土に還り、水となり、風となり、火となり、金属となります。

Elleも、もちろん人として生を受けた以上、死という辛い別れをいくつも体験しており、慣れる事は絶対にない苦しみであることは、よく存じております。
ですが、「肉体が死んだら、今生に出会ったこの状態の、この関係には、二度と会える事がない」という、悲しみに苦しみますが、それは「永遠の喪失」という絶望の悲しみに苦しむ事はありません。

もちろんこれも耐え難い悲しみですが、今「友」「家族」「ペット」「恋人」の形をとっている、この愛おしいご縁が、このご縁の形を離れてしまうという寂しさへの、悲しみですあって、暗い永遠の闇に閉じ込められるような、悲しみではありません。


魂は、肉体の理とは違った次元の理の中で存在します。

魂の入れ物である肉体が滅びたからといって、魂が滅びる事はありません。魂は永遠の存在です。
今生の肉体という型から自由になった魂は、また永遠の存在に還り、風にのり、踊り、そしてまた新しい肉体という入れ物にに入る事となったり、別の存在になったり、永遠の時を存在し続けます。

魂と魂とで結びついた存在というものは、肉体の滅びで、ご縁が終了するようなそんな類のものではありません。逆に言えば、肉体が滅びた程度で、ご縁がなくなってしまう関係性は、所詮そのくらいのものだということも、言えます。

Elleは物理は苦手なのですが、少し物理的な説明を致します。

魂のレベルで結びついている存在というのは、具体的には、お互いの持つ魂のエネルギーが共鳴状態にいるか、魂のエネルギー同志が反応して、磁場が発生して、斥力により引かれあっているエネルギーの状態です。

いわば、私達の存在の本体はこちらです。

本体が、物理の法則に基づいて引かれあっているエネルギーを発生させているのに、魂の服である、肉体を脱ぎ捨てたり、着替えたりした所で、大きなエネルギーが消えたりする事は、まずありません。時空すら簡単に飛び越えていきます。

(ただ、肉体を纏っている状態では、またもちろん、肉体の持つ波動のエネルギーによるご縁というものも発生しますのでご留意ください。ちょっとシモの話になってしまいますが、何度も体を重ねた相手とは、いくらか相手の肉体の運ぶエネルギーの状態の波動とシンクロしてきますし、同じ職場やクラスで何年も、肉体的に同じ空間で同じ時を過ごしている場合、その集団の持つエネルギーのバイブレーションに体が合って、「集合体」というカテゴリーに入ります。朱に交われば赤くなる、というあれです。)

深く魂が共鳴し、深く愛し合った程の大きな魂のエネルギーが、肉体が失われたからといって、離れて二度と会えないなどという事は、まず無いです。

魂は姿を変え、名前を変えますが、貴方の側に、同じエネルギーの質の何かとして、今までと同じように存在し続けようとします。

このページを貴方がご覧になっているという事は、少なからず、厳しい別れの苦しみの体験をされている最中なのですね。お辛いでしょう、苦しいでしょう、Elleも一緒に、手をとって、背中をさすって差し上げたい。

たくさん泣いて、苦しんで、そしてまた泣いてください。

涙も枯れるまで、地の底から泣いてください。

そして、涙も枯れたら、そっと、ありがとう、と告げて、その手を手放してください。貴方が手放さないと、その愛おしい魂は、そこから自由になれません。自由にならないと、その魂は、姿を変えて、また貴方の元にやってくる事が、できないのです。

急がなくていいです。時間は永遠にあるのですから。

Previous
Previous

仏教徒の日本人が、なんで金髪の天使とかに守護されてるの?

Next
Next

社会的な成功と、魂の幸せについての一例